第43回 社内木鶏会感想文

自分と言う人間が誕生するまでに、どれだけの人が命の鎖を繋いでくれているだろうか?
ということは、過去の転換期を迎えるまで考えたことはなかった。

家庭の事情から親に対して「産んでくれなんて頼んでないわ」と喧嘩して家を飛び出し家出したり、高校を辞めて働きに行くとか言い出したり迷惑しか掛けてなかった少年時代。

社会に出ても、のらりくらりとした生活で、何かあれば人のせい。会社のせい。社会のせい。
お金があればと、お金を追い求めてはお金を失い、独立すればと14年前に至る。

そんな理念も何もく独立した数年後に事件が起こった。

なんでこんなことに!誰か助けて!と思ってもどうなることもなく戦うしかなかった。
そんな逆境にたったとき人は見えない力に期待をするのかもしれない。

出雲大社や氏神様に参った、先祖の墓参りも始めた。その時間、過去、現在、未来を考え自問を繰り返した。
何度目かのとき「あぁそうか今まで両親を始め、ご先祖様、周りの人たちに生かしていただいてることに全く感謝ができてなかった」と、ふとそんな気持ちになった。
それが転換期というのか、そこからどんな不振なときでもお願いするのではなく、お礼を伝えに行くようになった。

恩とは、心の因、今までの行い、思いが因果応報の法則で自分に返ってくる。
弘法大師様の「恩を忘るれば善根断絶す」の言葉から改めて報恩感謝の大切さを刻ませていただいた。

最後に、平澤興先生の言葉にもあるように、自分の体を作っている60兆の細胞たちにも感謝し拝める生き方を目指したい。

その他の記事