人生色々なことがきっかけで「天からの封書」を開くときがくる。
「木を植える男」に登場する男性はそれを家族を失ったことで受け取り開くことができたのだろう。
家族が居たときは自分や家族だけの幸せを考えた利己的行動をし、家族を失ったとき本当の幸せとは?と考えそれが「誰かの役に立つことがしたい」「地球に恩返しがしたい」という「志」になり利他的行動になったのかと考えてみた。
立志すると戦時中であろうが人に認められなかろうが自らの行いに対する外的障害は気にならなくなるのだろう。
これが吉田松陰先生のいう「狂」の心なのか。
男性は結果的に広大な面積に植林をする偉業を成し遂げるが偉業と言うのはあくまで第3者的評価でしかなく本人はただひたむきに今日より明日、明日よりは明後日と常に改良改善を絶え間なく行い創意工夫を繰り返した結果なのであろう。
この男性しかり松陰先生しかり稲盛塾長しかりどんな状況にみまわれようと志にぶれることなく行動してこられた方々のように強い意思、目的をもちどんな状況でも動じない心をもった堅忍不抜という生き方を目指したい。